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67歳、僕にとって懐かしい歌で、 今でも新鮮に聞こえ不思議でした。
『そこの角砂糖でも齧ったら』と歌う加川良が懐かしいです。この歌の入ったCD『親愛なるQに捧ぐ』は今でもよく聴きます。
やっぱりこの唄聴きに来てしまう。心のピュアな人に出逢えた事に感謝します。良さんの上手すぎるピッキングと、語りは、その時代を生きた人たちの心に刺さります。LP持ってます。宝ものです。ありがとうございました。忘れません。一生。
やっぱり良い曲です。「何がいいとか悪いとかそんなことじゃないんです。」のセリフが私の人生にはずうっとついてきたと思います。みんな良いとか悪いとかにこだわりすぎてる気がします。大切なのはそんなことじゃないと思います。最初にこの曲を聴いたのは中学生でした。高田渡は千人でしたが加川良は求道者だった気がします。
良さんの下宿屋が好きで、京都の学生時代、大阪から通えるのに、親に頼んで京都に下宿しました。四季折々の京都、大好きでした。 良さん、本当にもっともっと長生きして欲しかった。
加川良さんは、ギターの上手な「優れた詩人」ですよね。感じいってしまいます。アップ感謝です。
(何が良いとか悪いとか そんなことじゃないんです) ずっとずっとなん十年も心にあった言葉
懐かしいと言うか、フォークって感じです。やはり加川良はいい✌️
45年前六畳一間のアパートでよく聞いてました。懐かしい青春の一コマです
この人の言葉を大切にする独特な節回し。そこにはいつも愛が流れていました。また聴きに来ます。
いい曲です。しかしギターの鳴りが良すぎて痺れました。こんないい音久しぶりに聴きました。
今年で63歳になりました。自分も学生の頃、西武新宿線沿いの下宿屋に住んでました。懐かしい。
良いなあ ギターのハンマーリング しゃがれた声 歌詞も良いなあ もう出てこないだろうなあ それが歌なんだ... 安らかに はい
この歌、加川良の真骨頂。真似できない。
必死に覚えて、下宿屋で良く唄った。良き時代を生かせて頂いたと思います。有り難う。
高校の時の想い出の歌です。とても懐かしくて涙が出そうになるりました。
この曲は私も思い出があります加川良そして高田渡。
年取って分かるなぁ。この歌の素晴らしさ。詞とギターと時代。オーラが立ち込めていた束の間の時代。分断破壊というアメリカによって、仕組まれた日本の混乱が今も尚続いているが。あの時代を機に、日本はバブルにおどらされ、外資による経済支配が襲ってきている。日本の土地を外国資本に売り飛ばし、企業も外資に買われ、岸田政権で着々と奴隷国家体制が構築されていく。
加川良さんのご逝去を悼みます。学生時代の思い出が・・・悲しみの涙の果てに流れ行きます。さようなら。
すげぇいい歌、これ。
高田渡も加川良も大好きです!
さみしいようなむなしいような懐かしいような!この時代に生きていました。戻りたいとは思わないねあの頃には。でもひかれるんです。光景が浮かぶんです。夢の中ならいつでもいいかな!
当時こんなような一緒の空気を吸いたくて京都の大学を目指してました。シバや岩井氏個性的な流れを生み出してくれましたね。彼らの音と共に生きて行きますわ。
当時、歌詞が気になって購入しようとしたのですがなかなか買えなかった記憶があります。いい歌です。
泣けてきた。😢
加川良の親愛なるQに捧ぐの下宿屋も兄貴の影響で知って、今も胸に輝いてます。
昔にタイムスリップさせてくれる歌です。良さん、ありがとう‼️ご冥福をお祈りいたします。
フオーク好きなかたかなあ??静かな方かな?、恋の歌かな?この歌に情景浮かびます😃歌ありがとうござました、
『下宿屋』何回も何回も数え切れないほどに練習弾きました。お蔭様で70歳近くになって、周囲からは褒めてもらえる様になりました。やっぱり加川良は最高です。私の青春時代の一部です。加川さん、本当にありがとうございました。😭🙇
ギター諦めた私には羨ましく思います。歌はいいですね!
どうあがいて歌っても、しろーとにこの歌はカバーできないよ。だからワシは、加川良の歌で聴くだけさ❣️
RUclipsって 凄いなぁ。知らなかった 加川良さんが いっぱい 観れる、聴ける‼️関西に 来られた時は 京都「磔磔」「サーカス サーカス」などに行き、楽屋や、ステージの 写真を 撮らせて頂き、六甲山頂のライブ、大阪「スタジオあひる」小さな喫茶店の様なライブ会場や 玉造の 手作りライブでも いつも お話しさせて頂いて 写真も 沢山 撮らせて貰いました。RUclipsの 加川良さんも インパクト大有りですね。
歌が残ってるなら、魂が残ってるようなもんだ
肉体は消えても魂は残るんですね。
永井龍雲の番組にゲストで加川良が出演したのですね 大変貴重なことです。龍雲とのセッションも見たいです アップして戴き有難うございました。
加川良の下宿屋、よく聴いた。また、ラジオでもよくかかっていた、そんな時代だった
確か最初に歌を聞いたのは、中津川のフォークジャンボリーだったと思います。もう50年近くになります。時々、この下宿屋を聞いていました。70年代の学生の下宿屋生活が、昨日のことのように思い出されます。今のようなお金と競争ばかりと人を大切にしない世の中にになってしまって、老人になったせいかさみしい感じです。加川良さんも、きっと同じような気持ちだったような気がします。ますます寂しくなります。有難うございました。この世よりも、あの世の知り合いが多くなってしまったようです。
加川良さん大好きです。こんな味出せる人今いないなあ。裸電球の下とか、手のひらかえすとか鳥肌立つほどいいです
素晴らしいというしかない作品です。この歌の一説に「それが歌なんだ」という部分がありますが、まさにこの歌のこと。これを本当の歌というのでしょう。
オイラ 加川良の死んだ歳に近づいたな チャチャヤング ラジオのチューナー弄りながら聴いてたぜ 眉村卓と共に好きだったな
凄すぎるです。素晴らしいです。
良さん、天国でもあの気持ちいい笑顔で多くの仲間と過ごしてると思います。年に二回程しか会えなかったけど、近くに来た時は必ず連絡してくれて、可愛がって頂きました。歌声を聴いて本当に懐かしく、当時の事いろいろと思い出しています。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
本当に「何が良いとか悪いとかのじゃないんです」につきます。今の時代、何でも何が良いとか悪いにこだわり過ぎてる人が多すぎて、生きづらい世の中になってしまった気がします。
昭和フォークには風景があるんだ。特に京都派にわね。かっこでは無く、ほんとがあるような気がした。思春期の思いこみだろうけど。当時関西の大学ばかり受けたな。でも関東に三十年。今は北海道に三十年昭和遺産的なあの熱はまだくすぶってるな。
ここで会う事出来て、感動です😭良さん❣️小さな町でも、来てくれて、ありがとうございました😂
背景はわからないのに涙が出るのは何故なんでしょうか?
ああ・・・。良さんも渡さんも逝ってしまわれたんですね。ずっと歌われていて、きっと幸せだったんだと思いたいです。ご冥福を。
加川良で始まり加川良で終わった❗良さんありがとうございました❗大好きでした!
この二人のトークはとても良い感じで癒される 加川良と永井龍雲イイネ
残念です。もう一度お会いしたかったです。長い間本当にありがとうございました。
暖かいですね、貴重な動画ありがとうございます。
俺の青春ありがとう
最高の吟遊詩人だった!もっと生きていてほしかった。一緒に飲んだ事があったけど本当に優しい人だった。残念です。
加川さん好きな人いくらでもいると思うので男でも惚れそうだぞ
下宿屋、親愛なるQに捧ぐ、涙が出て来ます。ご冥福を祈ります。合掌
最高
心の歌
良さん、残念です。長い間、ありがとうございました。
本当に、どうしてこんなにいい加減な人生だったんだろう。でもこの歌を聞けば、それでいいよという気がする。
私も同じです!!!
高田渡、いいなぁ、加川良いいよなぁ。
加川良の「下宿屋」好きです。「大晦日」を探してみよう(*´艸`*)
加川良さん飯野川町の恭一は入院しっぱなしです。
加川良さん 応援しています。
人生の辛酸を舐めて噛み締めた後の、それでもなお異性への愛を捨て切れない人間の性に、私は思わず嗚咽を抑えきることが出来ない。それを長谷川きよし氏の歌からは感じられる。人は孤独であるだけに異性を求めてしまう。
最後の福岡のライブ。行く予定だったのに、仕事の都合でキャンセルしました。まさか、キャンセルしたライブが最後になるとは…。残念です。毎年、最低必ず1度はライブに行ってたのに…。生きていく楽しみが、ひとつ、無くなってしましました。天国で、ごゆっくり、お元気で。ありがとうございました。
「外は雨が降っている僕は部屋の中こうもり傘をひらく・・・ああ君が好きだ」by高田渡さんオイラも61、小斉さん好きだよ。
詩人やね。ギターを持ったとても優れた詩人です。
何で知ってるんやろ?歌詞もみましたが自然と歌えた。小さい頃親父が歌ってたのかも。京都在住の43です
急な訃報に驚きました。唯々、寂しいです。御冥福お祈りします。
高田渡が、歌い手で死んでいったのは本当に素晴らしいと感じています。
昔、かまやつさんが、フォークシンガーでは、一番いい顔をしているど書いていたっけ。
良さんがあせって走ることはないよって言ってるからそうします
良さん!ありがとうございました。
先生今までありがとうございました。
謹んで御冥福をお祈りします
フォークは時代を超越してます
小麦柴野さん、このステージは因幡晃の「別涙」、永井龍雲の「お遍路」、「一滴の雨」など同じ背景ですね。もし可能ならこのステージのビデオを全部上げて頂けますか。
?
中学生の頃 ノートの表紙に 太めのマジックで 斜めにこの下宿屋の歌詞を書いていました クラスの皆が秀樹 ひろみ 五郎に夢中なのを横目で見ながら
昔佐賀県有田でのミニコンサート行きました
中学生の頃も身にしみたけど、老人になりつつある今はもっと身にしみるなぁ
面谷くんも、あれから剛のサポートしてたけど元気かなあ〜?!気付いたら、従兄弟がゴンチチでデビューしてましたわ😁
❤
僕(現在68才)の青春の全てでした。1つだけわからないことがあります。あんなに仲の良かった高田渡さんと何が原因で喧嘩(破門された)したのか?50年考え続けています。ご存知の方、教えて下さい。よろしくお願いいたします。
・約50年を経て再聴、乞う再評価~要らない??
鳴るなあ。YAMAHA
何で良いんだろう?理屈は、いらないね。ノスタルジーだけではないんだ。
なんだ、なんだ、加川良までいってしまうのかい。高田渡も、浅川マキも、加藤和彦も・・・・みんなみんないってしまう。知らないうちにふーちゃんも死んでいたし。どうしましょう。・・・
良さんも渡さんも逝ってしまった悲しい😢😢😢
令和の若者に必要な感性
コロナ騒ぎで、家に籠っている休日に、友川かずき、友部正人、加川良と聴いている。次は、怒髪天かな。
良い趣味されてますね。
え、亡くなったの絶句
ヤマハ 鳴るなあ!それにしても龍雲のギターは何なんだ。もっとしっかりサブやれや!
いい❕ 🔥🔥
この人も早き亡くなって残念!
加川良・・・変わったよねぇ。
サムネが稲川淳二に見えたw
67歳、僕にとって懐かしい歌で、 今でも新鮮に聞こえ不思議でした。
『そこの角砂糖でも齧ったら』と歌う加川良が懐かしいです。この歌の入ったCD『親愛なるQに捧ぐ』は今でもよく聴きます。
やっぱりこの唄聴きに来てしまう。心のピュアな人に出逢えた事に感謝します。良さんの上手すぎるピッキングと、語りは、その時代を生きた人たちの心に刺さります。LP持ってます。宝ものです。ありがとうございました。忘れません。一生。
やっぱり良い曲です。「何がいいとか悪いとかそんなことじゃないんです。」のセリフが私の人生にはずうっとついてきたと思います。みんな良いとか悪いとかにこだわりすぎてる気がします。大切なのはそんなことじゃないと思います。最初にこの曲を聴いたのは中学生でした。高田渡は千人でしたが加川良は求道者だった気がします。
良さんの下宿屋が好きで、京都の学生時代、大阪から通えるのに、親に頼んで京都に下宿しました。四季折々の京都、大好きでした。 良さん、本当にもっともっと
長生きして欲しかった。
加川良さんは、ギターの上手な「優れた詩人」ですよね。感じいってしまいます。アップ感謝です。
(何が良いとか悪いとか そんなことじゃないんです) ずっとずっとなん十年も心にあった言葉
懐かしいと言うか、フォークって感じです。やはり加川良はいい✌️
45年前六畳一間のアパートでよく聞いてました。懐かしい青春の一コマです
この人の言葉を大切にする独特な節回し。そこにはいつも愛が流れていました。また聴きに来ます。
いい曲です。
しかしギターの鳴りが良すぎて痺れました。
こんないい音久しぶりに聴きました。
今年で63歳になりました。
自分も学生の頃、西武新宿線沿いの下宿屋に住んでました。
懐かしい。
良いなあ ギターのハンマーリング しゃがれた声 歌詞も良いなあ もう出てこないだろうなあ それが歌なんだ... 安らかに はい
この歌、加川良の真骨頂。真似できない。
必死に覚えて、下宿屋で良く唄った。良き時代を生かせて頂いたと思います。有り難う。
高校の時の想い出の歌です。とても懐かしくて涙が出そうになるりました。
この曲は私も思い出があります
加川良そして高田渡。
年取って分かるなぁ。
この歌の素晴らしさ。
詞とギターと時代。
オーラが立ち込めていた束の間の時代。
分断破壊というアメリカによって、仕組まれた日本の混乱が今も尚続いているが。
あの時代を機に、日本はバブルにおどらされ、外資による経済支配が襲ってきている。日本の土地を外国資本に売り飛ばし、企業も外資に買われ、岸田政権で着々と奴隷国家体制が構築されていく。
加川良さんのご逝去を悼みます。学生時代の思い出が・・・悲しみの涙の果てに流れ行きます。さようなら。
すげぇいい歌、これ。
高田渡も加川良も大好きです!
さみしいようなむなしいような懐かしいような!この時代に生きていました。戻りたいとは思わないねあの頃には。でもひかれるんです。光景が浮かぶんです。夢の中ならいつでもいいかな!
当時こんなような一緒の空気を吸いたくて京都の大学を目指してました。シバや岩井氏個性的な流れを生み出してくれましたね。彼らの音と共に生きて行きますわ。
当時、歌詞が気になって購入しようとしたのですがなかなか買えなかった記憶があります。いい歌です。
泣けてきた。😢
加川良の親愛なるQに捧ぐの下宿屋も兄貴の影響で知って、今も胸に輝いてます。
昔にタイムスリップさせてくれる歌です。良さん、ありがとう‼️ご冥福をお祈りいたします。
フオーク好きなかたかなあ??静かな方かな?、恋の歌かな?この歌に情景浮かびます😃歌ありがとうござました、
『下宿屋』何回も何回も数え切れないほどに練習弾きました。
お蔭様で70歳近くになって、周囲からは褒めてもらえる様になりました。やっぱり加川良は最高です。
私の青春時代の一部です。
加川さん、本当にありがとうございました。😭🙇
ギター諦めた私には羨ましく思います。歌はいいですね!
どうあがいて歌っても、しろーとにこの歌はカバーできないよ。だからワシは、加川良の歌で聴くだけさ❣️
RUclipsって 凄いなぁ。
知らなかった 加川良さんが いっぱい 観れる、聴ける‼️
関西に 来られた時は 京都「磔磔」「サーカス サーカス」などに行き、楽屋や、ステージの 写真を 撮らせて頂き、六甲山頂のライブ、大阪「スタジオあひる」小さな喫茶店の様なライブ会場や 玉造の 手作りライブでも いつも お話しさせて頂いて 写真も 沢山 撮らせて貰いました。
RUclipsの 加川良さんも インパクト大有りですね。
歌が残ってるなら、魂が残ってるようなもんだ
肉体は消えても魂は残るんですね。
永井龍雲の番組にゲストで加川良が出演したのですね 大変貴重なことです。龍雲とのセッションも見たいです アップして戴き有難うございました。
加川良の下宿屋、よく聴いた。また、ラジオでもよくかかっていた、そんな時代だった
確か最初に歌を聞いたのは、中津川のフォークジャンボリーだったと思います。もう50年近くになります。時々、この下宿屋を聞いていました。70年代の学生の下宿屋生活が、昨日のことのように思い出されます。今のようなお金と競争ばかりと人を大切にしない世の中にになってしまって、老人になったせいかさみしい感じです。加川良さんも、きっと同じような気持ちだったような気がします。ますます寂しくなります。有難うございました。この世よりも、あの世の知り合いが多くなってしまったようです。
加川良さん大好きです。こんな味出せる人今いないなあ。
裸電球の下とか、手のひらかえすとか鳥肌立つほどいいです
素晴らしいというしかない作品です。この歌の一説に「それが歌なんだ」という部分が
ありますが、まさにこの歌のこと。
これを本当の歌というのでしょう。
オイラ 加川良の死んだ歳に近づいたな チャチャヤング ラジオのチューナー弄りながら聴いてたぜ 眉村卓と共に好きだったな
凄すぎるです。素晴らしいです。
良さん、天国でもあの気持ちいい笑顔で多くの仲間と過ごしてると思います。年に二回程しか会えなかったけど、近くに来た時は必ず連絡してくれて、可愛がって頂きました。歌声を聴いて本当に懐かしく、当時の事いろいろと思い出しています。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
本当に「何が良いとか悪いとかのじゃないんです」につきます。今の時代、何でも何が良いとか悪いにこだわり過ぎてる人が多すぎて、生きづらい世の中になってしまった気がします。
昭和フォークには風景があるんだ。特に京都派にわね。かっこでは無く、ほんとがあるような気がした。思春期の思いこみだろうけど。当時関西の大学ばかり受けたな。でも関東に三十年。
今は北海道に三十年昭和遺産的なあの熱はまだくすぶってるな。
ここで会う事出来て、感動です😭良さん❣️小さな町でも、来てくれて、ありがとうございました😂
背景はわからないのに
涙が出るのは何故なんでしょうか?
ああ・・・。良さんも渡さんも逝ってしまわれたんですね。
ずっと歌われていて、きっと幸せだったんだと思いたいです。ご冥福を。
加川良で始まり加川良で終わった❗良さんありがとうございました❗大好きでした!
この二人のトークはとても良い感じで癒される 加川良と永井龍雲イイネ
残念です。もう一度お会いしたかったです。長い間本当にありがとうございました。
暖かいですね、貴重な動画ありがとうございます。
俺の青春ありがとう
最高の吟遊詩人だった!もっと生きていてほしかった。一緒に飲んだ事があったけど本当に優しい人だった。残念です。
加川さん好きな人いくらでもいると思うので男でも惚れそうだぞ
下宿屋、親愛なるQに捧ぐ、涙が出て来ます。
ご冥福を祈ります。合掌
最高
心の歌
良さん、残念です。長い間、ありがとうございました。
本当に、どうしてこんなにいい加減な人生だったんだろう。でもこの歌を聞けば、それでいいよという気がする。
私も同じです!!!
高田渡、いいなぁ、加川良いいよなぁ。
加川良の「下宿屋」好きです。
「大晦日」を探してみよう
(*´艸`*)
加川良さん飯野川町の恭一は入院しっぱなしです。
加川良さん 応援しています。
人生の辛酸を舐めて噛み締めた後の、それでもなお異性への愛を捨て切れない人間の性に、私は思わず嗚咽を抑えきることが出来ない。それを長谷川きよし氏の歌からは感じられる。人は孤独であるだけに異性を求めてしまう。
最後の福岡のライブ。
行く予定だったのに、仕事の都合でキャンセルしました。
まさか、キャンセルしたライブが最後になるとは…。
残念です。
毎年、最低必ず1度はライブに行ってたのに…。
生きていく楽しみが、ひとつ、無くなってしましました。
天国で、ごゆっくり、お元気で。
ありがとうございました。
「外は雨が降っている僕は部屋の中こうもり傘をひらく・・・ああ君が好きだ」by高田渡さん
オイラも61、小斉さん好きだよ。
詩人やね。ギターを持ったとても優れた詩人です。
何で知ってるんやろ?歌詞もみましたが自然と歌えた。小さい頃親父が歌ってたのかも。京都在住の43です
急な訃報に驚きました。唯々、寂しいです。御冥福お祈りします。
高田渡が、歌い手で死んでいったのは本当に素晴らしいと感じています。
昔、かまやつさんが、フォークシンガーでは、一番いい顔をしているど書いていたっけ。
良さんがあせって走ることはないよって言ってるからそうします
良さん!ありがとうございました。
先生今までありがとうございました。
謹んで御冥福をお祈りします
フォークは時代を超越してます
小麦柴野さん、このステージは因幡晃の「別涙」、永井龍雲の「お遍路」、「一滴の雨」など同じ背景ですね。もし可能ならこのステージのビデオを全部上げて頂けますか。
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中学生の頃 ノートの表紙に 太めのマジックで 斜めにこの下宿屋の歌詞を書いていました クラスの皆が秀樹 ひろみ 五郎に夢中なのを横目で見ながら
昔佐賀県有田での
ミニコンサート行きました
中学生の頃も身にしみたけど、老人になりつつある今はもっと身にしみるなぁ
面谷くんも、あれから剛のサポートしてたけど元気かなあ〜?!
気付いたら、従兄弟がゴンチチでデビューしてましたわ😁
❤
僕(現在68才)の青春の全てでした。1つだけわからないことがあります。あんなに仲の良かった高田渡さんと何が原因で喧嘩(破門された)したのか?50年考え続けています。ご存知の方、教えて下さい。よろしくお願いいたします。
・約50年を経て再聴、乞う再評価~要らない??
鳴るなあ。YAMAHA
何で良いんだろう?
理屈は、いらないね。
ノスタルジーだけでは
ないんだ。
なんだ、なんだ、加川良までいってしまうのかい。高田渡も、浅川マキも、加藤和彦も・・・・みんなみんないってしまう。知らないうちにふーちゃんも死んでいたし。どうしましょう。・・・
良さんも
渡さんも
逝ってしまった
悲しい😢😢😢
令和の若者に必要な感性
コロナ騒ぎで、家に籠っている休日に、友川かずき、友部正人、加川良と聴いている。次は、怒髪天かな。
良い趣味されてますね。
え、亡くなったの絶句
ヤマハ 鳴るなあ!それにしても龍雲のギターは何なんだ。もっとしっかりサブやれや!
いい❕ 🔥🔥
この人も早き亡くなって残念!
加川良・・・変わったよねぇ。
サムネが稲川淳二に見えたw
加川良さん 応援しています。